100歳まで、シャッターを切りたい
⸺ 写真家・井上緑さんが見つめ続ける「日常」と「これから」
ニューヨークの街角に立つ人々、何気ない日常の一瞬。
井上緑さんの写真には、そこに生きる人のエネルギーと、その時代の空気が写り込んでいます。
SMP GALLERY(STYLE MEETS PEOPLE店舗内併設)で開催された写真展をきっかけに、写真を始めた頃のこと、ニューヨークでの日々、暮らしの中でアートを楽しむこと、そして60歳からの人生について、マダムHとお話しいただきました。
Midori S. Inoue(井上緑)/写真家
1987年に渡米。ジョージ・ワシントン大学、ノースウェスタン大学でCommunication / Fine Artsを学び、在米日本大使館勤務を経て1991年ニューヨークへ。街を歩き、人々の「その人らしい一瞬」を撮り続ける。帰国後はポートレート、家族、アーティスト撮影など幅広く活動。2023年、谷川俊太郎氏の書き下ろし詩20篇とNYの写真を織り合わせたフォト絵本『記憶と空想』を出版。写真を通して、「あなたはあなたのままでいい。あなたの中にある価値を信じて、今を楽しんでほしい」というメッセージを届けている。
https://midorisphoto.com/midori/
写真を始めたきっかけ
マダムH 緑さんの写真を拝見して、私は本当にいい意味でショックを受けました。
ニューヨークには出張のついでにヨーロッパ経由で何度も行っていたので、作品を見て街の匂いや空気を思い出したんです。
冬の地下鉄のホームから立ち上る蒸気や煙、寒かった街がインディアンサマーで急に明るくなる景色……。
そういうニューヨークの日常が自然に作品の中に取り入れられていて、とても懐かしい気持ちになりました。
アメリカへ行かれたのは、おいくつの頃ですか?
井上 22歳頃です。最初は日本文化を教える仕事をして、大学に入り直し、卒業後は日本大使館で1年間働きました。その後ニューヨークへ。大学ではコミュニケーションを学んだのですが、「もう一つ専攻が取れますよ」と言われて、美術(ファインアート)を選んだんです。その中で写真を撮り始めたのがきっかけです。
撮った写真を友人たちが褒めてくれたり、授業でよい評価をいただいて、初めて「認められた」という気がして嬉しくて。
そこから今にいたるまで、ずっと写真を撮り続けています。
マダムH 人が一つの仕事にたどり着くきっかけって不思議ですね。私も「絶対デザイナーになる!」と決意して田舎から出てきたわけではなくて、やっているうちに「向いているかも?」と思ってだんだん楽しくなっていった。そういうほうが長く続く気がします。
井上 そうですね。私も写真家になろうと思って始めたわけではなく、ただ純粋に面白くて。
あとからわかったのですが、父が亡くなった時、遺品の中からたくさんの写真機材やフィルムが出てきたんです。そういえば、小学校の運動会で父が一眼レフを持って写真を撮ってくれたなあと思い出して。当時は大きなカメラを抱えた父の姿がなんだか恥ずかしかったのですが、大学で偶然のように写真に出会い、撮ることの楽しさに気づいたのは、写真のDNAが繋がっていたのかな、なんて思っています。
「古き良きアメリカ」に惹かれて
マダムH 作品には人物が多く登場しますね。それには何か理由があるのですか?
井上 実は、アメリカへ行く前から、画家のノーマン・ロックウェルが描く「古き良きアメリカ」に憧れていたんです。
私がニューヨークにいたのは1987年から1990年代でしたが、その頃もまだ、その空気が残っていて。だから、そんな場面を探しながら街を歩いていたんだと思います。
Macy's Café ____緑さんの作品より
At a Bar ____緑さんの作品より
マダムH 私の中では「古き良きアメリカ」というと地方のイメージがあったので、ニューヨークでそれを表現されているのがとても印象的でした。
写真を拝見すると、どこか70年代の空気を感じます。
井上 そうなんです。私は70年代から80年代のニューヨークが大好きで。本当はその時代に住みたかったくらい(笑)。
撮影当時は、街に出てニューヨーカーの日常を切り撮ることがただただ楽しくて、街を行き交う人々の目や表情からあふれ出る、「今を生きる」というエネルギーに惹かれて、シャッターを切っていました。
今でも作品を見ると、まるであの日にワープしたように、その時の会話や表情、空気感、色までもが蘇ってきます。
私は、私の作品を見た方それぞれが、その方の記憶や空想を重ねて、自分自身の物語を奏でてほしいと思うんです。
見る方の中で新しい物語が生まれ、どんどん広がっていく。そんなふうに、自由に楽しんでいただける作品でありたいと思っています。
暮らしの中でアートを楽しむ
マダムH 「写真やアートは難しい。どうやって見たらいいのかわからない」という声も聞きます。暮らしの中でアートを楽しむコツはありますか?
井上 難しく考えなくていいと思います。アートには、こう見なければいけないという決まりも、正解もありません。「今」の自分が感じたことを、自由に、自分らしく楽しむことが一番!
そして、「アートを飾る」という文化を日本でももっと楽しんでいただきたいと思います。有名なアーティストのポストカードやポスターでも、ご自身が撮った写真でもいい。とにかく、好きなものを身近なところに飾って、日々目にして、愛でてほしい。アートは、日々の暮らしを彩り、心を豊かにしてくれるものだと思うので。
マダムH 家族の写真を飾るのもいいですよね。
井上 そうなんです。毎日その写真を見ることで、「こんな素敵な家族がいてくれてありがたいな」と、自然に感謝することができますし、自分がここに存在しているのは、両親や、そのまた先のご先祖さまがいたからなんだと、ふと気づかされる。それだけでも、心が少し豊かになると思います。
好きな自分の写真を飾るのもいいですよ。「この時の私、素敵だな」と思える写真を毎日見ることで、自分自身をもっと好きになれる。自分を大切にすることにもつながると思うんです。
「コロナ禍でなかなか会えない家族を思いながら、写真をコピー用紙にプリントして、壁にペタペタと貼って楽しんでいました」と緑さん。これだけで日常の景色が少し変わって見える。
「2000年から個展を続けていますが、フレームを含めて作品だと考えています。とにかく家に飾っていただきたくて、そのまま持ち帰って、すぐ飾れる状態でお渡ししています」
「かっこよくありたい」という思いと装い
マダムH マダムH 写真のお仕事は、感性だけではなく体力も必要ですよね。普段、お仕事ではどんな服装を心がけていますか?
井上 舞台やステージを撮るときは黒子なので、黒い上下にスニーカーや革靴です。それ以外は、白シャツが本当に多いですね。動きやすくて、着慣れていますから。
マダムH 着慣れている感じがすごく伝わります。「シャツは苦手」とおっしゃる方も多いんですが、やっぱり着慣れていることが大切なんですよね。こなれ感が出て、本当に素敵です。
井上 ありがとうございます。

madameH CLOSETのシャツを着ていただきました。白シャツは38サイズをジャストサイズで。黒の麻シャツは40サイズをざっくりと。白シャツの襟元のカメオはお母様の形見。
マダムH シャツって、大人の女性に最強のアイテムだと思うんです。すそをアウトで着てもいいしインでも着られて万能。それに、Tシャツもいいけれど、ある程度の年齢になると襟があるだけできちんと感が出ますから。私自身、もう何十年も制服のように着ています。madameH CLOSETを始めるきっかけになったブランドアイコンでもあります。
井上 アメリカにいた頃は、白いTシャツにジーンズが、いわば私の制服でした。今も白いシャツやパンツを着ることが多いのですが、それは、私にとって「自分らしく、かっこよくいられる」装いだからです。
流行や誰かの真似ではなく、自分が自分でいられるものを選ぶ。
それもまた、「自分らしく生きる」ということの一つなのだと思っています。
60歳からの人生、そして100歳まで
マダムH 今も精力的に撮影をしていらっしゃいますね。
井上 はい。写真を始めてもう38年になります。
マダムH 60歳を過ぎると、本当にいろいろなことが起きる。でも、それを乗り越えると、何があっても大丈夫と思えるようになるんです。
これからの10年が一番いい時期ですよ。
井上 そうですか? ちょっとまだ実感できないけれど(笑)。私は昔から、「50代より60代、60代より70代、70代より80代がもっとよくなる」と言われてきたんです。マダムを見ていっそうそう思いました。
マダムH ただね、70代になると体力は落ちますよ(笑)。だから健康でいることが大事。それと、いつ何が起こるかわからないから、私はまず旅の予定を組んじゃうんです。「いつか行こう」なんて思っていても、その「いつか」って待っていても来ないから。予定を入れて、もし何かあったら、その時はその時。全部諦めればいい。
井上 そうですね。何があるかわからないけれど、健康で、これからも好きなことを続けていきたい。
100歳まで、シャッターを切りたいと思っています。
取材協力
Style Meets People
https://stylemeetspeople.com/#
https://smp-gallery.com/pages/





